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紅榴館コラムニスト

僕が散文できる多少の劇情

多和田紘希 : 第六回 浴槽

今回は嫌いな物を書こうと思いますが、それはたくさん浮かぶようで浮かばず、浮かんとしても公に出せるものは、他人に迷惑をかけたくないため極めて限定の多い状況ばかりで、例えば「点滅する青信号を渡り切ろうとヒール靴で走っているとき特に多く見られる女の人のあの恥ずかしそうな表情。」なんかは分かる人には分かると思うけど、僕にとっては耐え難いほどにとても嫌なもので、例えば今まさにあれがそこに静止し僕の眼をじっと見つめているのを考えてみたら、驚いたことに想像する脳がかってに焦点をぼかしてしまっている。他にも「自動販売機の釣銭口に出た自分の釣銭を全部取ったか確かめる二手目。」なんかは自分のことだけれどとても嫌なもので、さらには色々思い浮かべることが出来るけれども、ここで例えば分かり難いこれらを敢えて簡単に羅列してしまうと「針金でできた安物のハンガー。」とか「捨てられたレジ袋に溜まった雨水。」とかが関わるものであり、他人はこの種の嫌悪感になかなか気付いていないようだけれど、こう並べた今もう少し限定を加える字数がもし許されるならば、きっと皆からなるほどねという共感を引き出す自信もまた傍らにある。

 そこでこれら嫌悪感の一つに焦点を当てるならば、僕はここでぜひ浴槽への嫌悪感を紹介したい。といっても浴槽のいかにも安らいだ雰囲気や、娯楽みたいに風呂に浸かる趣味への文句なんかは簡単なので、ここではいっそ命題をぼかさず濁さず、きっとあなたに共感して貰えることを疑わず、心に起こった若干情けない気さえするほどに実際のことを説明したい。要するに僕にとって浴槽の耐え難きは、あの溢れ出る水なのです。浴槽に水を溜めてからさてと、て爪先から入り腰を屈めるに従って、水が次から次へ溢れていくでしょう?あの様子には堪らないものがある。ああ無駄にしているな、とは嫌悪の針が振り切れてから思うのだけれど、それよりもまずあの音や流れる速度はいつも一定で、子供の頃から耳にしたため良く記憶されており、それを毎度毎度感じるたびに、大げさに思われるかも知れないが道端でふと思い出した時でさえ、漠然とした後悔というか、はっきりとした後戻りできない感があって気持ちが冷める。で実際石鹸かなんかを取るために立ち上がってみると、そこにははっきりと自分の体積が刻まれているわけで、あるいは自分が浴槽内でした身動ぎみたいなのも、水を外へ押し出すから微細ながらもはっきりと刻まれているわけで、僕にとってのあの感じは「無駄。」と言うよりも「犠牲。」と言ったほうがぴんと来る、そんなほどにあれはそういうとても嫌なものなのです。

 こういった嫌悪感には敏感であるほど精神的に豊かな生活を送れるように僕は思いますが、というのも実際に出くわすのを避けたり脳の回路を整頓したりという対抗ができるからですが、もしかしたら幸福論者の多くがこれらの神経質を嫌って、幸福論者でなくともこれらを体力の無いロマンチス徒として無下にしているという気がします。しかし僕にはっきりと分かるのは、こういう手段が最も現実味ある、ちっともリアリティのない空間というのは日常にあり、あるいはある種の人間のある期間における日常のほとんどを占めていて、そのため僕なんかは空気筒のように物や他人の悪口を言い、けっなどという泡みたいなのを吹きつつ、しかしそうしながらも友人が無くならない程度にはいつも真剣なのです。今回はあまり劇情でありませんでした。

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