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この時代に生まれて良かった。そのように心底思うことがあります。
ジミヘンを聴いたり、梶井基次郎、太宰治なんかの文学作品を読んでいると、たびたび思います。
心を打つ他人の希望は、非常に少ない。気持ちの良いそれが、彼らにはある。運が良いとしか言えないです。
運の関係は不平等ですが、どうでもいい。金にならない文学には、不平等がありません。
友人だと思って太宰治の作品が読めるし、彼自身を洞察することができます。
三十歳の太宰が書いた作品には、年長者への敬意を七年分、上乗せして読んでいる気がしますが、彼いわく「文学が年齢とともに熟するものと思わない。」ですから、本当は要らない。
文学をやらない人の中には、あらゆる意味でのヒントを、文学作品から得られない人かいるかも知れません。
音楽をやらない僕が、ジミヘンから得ている最大のものは気分です。とても良い気分。両手で覆い隠したくなるほどの笑顔。気分に過ぎないとも言えるし、他でもない「気分」を得ているとも言えます。
他人にジミヘンを勧めることがあるかもしれない。しかし太宰治を勧めることは余りないです。
先日、20歳と19歳の女性がダブル受賞した芥川賞。
あれは彼がどうしても欲しくて、そして一生取れなかった賞です。
悩んでばかりで何も見つけられなかった彼ですが、そのぶんユーモアの趣味がとても洗練されてる。
太宰治には、他人を不快な気分にさせるだけの度胸が全く無かったようです。
恐怖と欲との密な回転が、ユーモアを最小限に膨張させてる。カラカラと吐き出される金平糖を連想します。これは我ながら上手い。
しかし余り他人に勧められない。
太宰治自身、他人に紹介するには面倒な人だし、貧相なので誕生日プレゼントにも全くならない。相手に失礼な気さえする。これほど人に紹介する動機付けのない人間も、ちょっといないです。
全部、彼の作品から得た印象ですから、彼自身が望んだことなのだと思えば、不愉快に感じる人は誰一人いません。
そういうわけで、ここを使わせて貰います。紹介相手を名指ししなくてもいい点が、実に都合良い。
太宰治の「もの思う葦」やら「新樹の言葉」やら、短編集をここで紹介したい。
賞など絶対に貰えそうもない作品ばかりですが、楽しい本です。心打つ他人の希望がここにあります。
「走れメロス」や「斜陽」や「人間失格」も良いのですが、僕はあまり好きでない。どうでもいいです。目次を見て、名もない短編が山のように連なったやつが好きです。
太宰の話をすると、女々しい馬面でどうのこうの言う人がいますが、当方怒りが湧きます。
青森は太宰の生家、斜陽館が放火される事件が起こったなら、悔しくて泣くかもしれません。それほどに執着できるのは、限られた友人と自分の家族しか、今のところ見つけられません。
つまりはこの辺が今回、劇情を表し損ねた要因かとつくづく発見しました。
失敬して次回は再び劇情に戻ります。
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