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紅榴館コラムニスト

丸の内コンフィデンシャル

川合周作 : 第一回 企業人問答ジャブ

「苦労は買ってでもしろ」
「全ての享楽と全ての幸福とは消極的なものだが、苦労は積極的なものだ」
いや、前者などは心底詰まらない、格言の風上にもおけない。けれども、とにかく、苦労はいいぞ、と、そんなことを言う人は多い。苦労を美徳とする、そんな甘い感傷を好む性ではありませんが、このあたりは現代人らしい、藻のように漂って暮らす日々に耐えかね、尻でも叩かれて、一つ苦労とやらをしてやろうではないか、と思う節もあったり、なかったり、昨年の末から、サラリーマンを始めました。皆さんもご存知、世界に名を轟かせる、あの多国籍企業、「ブラッディ」という形容詞がよく似合う。チョムスキー先生が知ったら何とおっしゃるか。
「ええ、僕、XXX社で働いてます」と言えば、「へえ、そうなんだ」、「そりゃあ、いい機会ですね」、「君の履歴書にとってはいいだろうね」。相手が日本人だろうが、そうでなかろうが、と、国際派をアピールしつつ、「知らない」と答えさせたことは、これまで、ただの一度もなかった。普通に生きていれば知らざるを得ない、そういうモノの一つだと言ってもいいでしょう。お前には70になるバアサンがいるらしいじゃないか、そいつはどうなんだ、知ってたのか、って、詮の無い、知らないでしょうよ。その社名を知っていそうな顔をした人が多くて、僕が知っていそうだと見込んだ人は皆知っていた、と、理屈っぽく言えばそういうことです、もういいでしょう。

ところが、僕の連勝記録にも土がつきました。奇しくも、ノゲイラ、ミルコの連勝街道に歯止めをかけた日、あの雨は、僕とミルコの涙雨だったのでしょう。あの雨とは、どの雨のことでしょう。渋谷区東、とある雑居ビルの2階のヘアサロン、おそらく自分と同い年くらいの、誤解を恐れず言わせてもらえば、まあ、女子供である。
「私のミスにつけ入る精神力を残させたのが失敗だった」と、ミルコ、屈辱のタップ、しかし、彼女は攻撃の手を緩めない。「仕事で難しいパソコン使うんですか」と来た。「『難しいパソコン』っていうのは、おかしくてね、でね、パソコンって言うのはね、云々」と返す。「パソコンは3種類知っていて、それはマックとバイオと、あと何とかだ」と来る。しょうがない。「その、『あと何か』ってきっと、ウィンドウズ、でしょ、でね、パソコンって言うのはね、云々」と、何だが僕が恥ずかしい。「私、何も知らないんですよー、いろいろ知っててすごいですねー」と、一頻り感心し、「最近、面白い映画を探してるんですよー」と、今度は、文化系。「シカゴには本当に驚いた」と言えば、「いろいろ知っててすごいですねー」。「ゴダールの映画史なんか寝てやったよ」と言えば、「いろいろ知っててすごいですねー」。「ロメロのゾンビは大槻ケンヂ氏のご推薦で」と言えば、「いろいろ知っててすごいですねー」。「いろいろ知っててすごいですねー」。無限地獄の様相漂う。彼女なんかは、まあ、かわいいもんですよ、話すのにすっかり夢中で、もうカットもパーマもありゃしない。今思えば、僕も悪かった、不覚にもちょっと楽しくなって来てたんですよ。「私のミスにつけ入る精神力を残させたのが失敗だった」ということなのか、何なんでしょう。

「お前は髪を伸ばした方がセクシーだよ、芥川で行けよ」と、人から言われたことがありました。「えー、切ったかどうかわからないじゃん、しゅうくん」と、女房をがっかりさせましたが、「芥川なんだから、しょうがないんだよ」と、返す伊達男。そこに来て、ここ1月ほど、ごほごほ、と、いかにも不健康そうな咳が発作のように出る、と来ているから、これはますますお誂え向きである。咳も胸を張って、いや、むしろ背中を丸めて、堂々と、いや、むしろ申し訳なさそうに、できるというものである。


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